建御名方神の謎に迫る
2023年7月24日
8:00~12:30
参加者:8人
【案内人】
よし殿 俳優/パフォーマンスアーティスト
長野&カリフォルニア在住。自分探しの旅で行き着いた長野。 すぐ側に居た建御名方神に共感。
【コース案内】
神話(古事記)では国譲りの際、建御雷神に敗れ諏訪に逃げついたと言われる建御名方神。にも関わらず武神として名のある武将達も崇拝し、全国に約25 , 000社の諏訪神社が存在します。その建御名方神を祭った神社が善光寺の四方を囲んでいます。
【コース】
楽茶れんが館
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武井神社
善光寺三鎮守。御祭神は建御名方命ミナカタノミコト)和御魂(ニギミタマ)です。千引の石を手先で持ってタケミカヅチに力競べを申し出たタケミナカタ。ここにも雷電が運んだという力石がありますが何の因縁でしょう?
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妻科神社
善光寺三鎮守。御祭神はタケミナカタの妃神、 八坂刀売命 (ヤサカトメノミコト)です。ケミナカタのお妃とはどのような方だったのでしょうか?
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湯福神社
善光寺三鎮守。御祭神は建御名方命 荒御魂(アラミタマ)です。善光寺の開祖と言われる本田善光の墓とされる大石がありますが、これは本当にお墓なのでしょうか?
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健御名方富 命彦神別神社
御祭神はタケミナカタの長子、 彦神別命(ヒコカミワケノミコト)です。善光寺も見渡せる城山の頂上からタケミナカタは今、何を思うのでしょう。
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殿の隠れ家
最後に一服しながら皆さんと感じた事や殿が長野に行き着いた経緯などシェアリングきたらと思います。
《出陣式》
かなりおもろいお方の登場です(以下、殿と呼ぶ)一見、単なる変わり者のおっさん(私もおっさんです)にみえますが、実際はっどーなんでしょう?!興味津津です。
殿、自己紹介でこの場で20分もお話しされました。まちあるき合戦前でご気分はアゲアゲ。生まれは長崎で学生時は米国へ留学しました。サラリーマンのときに、何か自分の素直な気持ちのままに生きていようと発起し、気の向くままに流れ流れて長野市にいきついたとのことです。生活費は自分の芸とお手伝いと周囲のお心遣いでどうにか暮らしてこれたそうです。
「私の魂のプロフィールを申し上げますと、過去生はいろいろありまして、直近では真田家に仕えていた望月六郎(真田忍者・真田十勇士のひとり)でした。幸村公は今でいうところの私の上司です。大阪夏の陣では幸村公の脇を固めとして、家康本陣に突撃し討ち死にしました。先日九度山にて幸村公と久しぶりに再会してきました。」なぬぅ?
「さて、今日の主人公の建御名方命(タケミナカタノミコト)は、出雲の国に降り立って国づくりを進めていた出雲族の長である大国主命の次男坊にあたります。神話(古事記)よると、天照大御神軍団が、出雲の国を半ば脅迫的に譲れとせまったときに、冗談じゃねーと力自慢のこの次男は一人で歯向かったわけですが、天照大御神からのヒットマンの建御雷神(タケミカヅチ)に敗れ、諏訪へ逃げおち、そののち諏訪の地の鎮守神(諏訪を出ないことを条件に)となったんですね。結局、無慈悲にも国は天照大御神によって統治されることになってしまって。けれど敗戦の神なのもかかわらず戦国武将をはじめ今なお多くの信仰をあつめる人気の神!なのってある意味不思議ですね。その紐を少しでも解きほぐせるまちあるきになればよいと思ってます。」
《武井神社》
「武井神社の境内には天神社、三峰社、金刀比羅社、矢島稲荷、松尾社、猿田彦大神を祀っています。猿田彦大神は道案内の神で、人生の岐路でどちらに進もうか迷ったときに導きくださります。」
「御祭神は健御名方神の和魂が祀られています。相殿に妃の八坂刀売神(やさかとめのみこと)と御子神の彦神別神(健御名方富命彦神別神)がいます。和魂?ここでは、和魂を、湯福神社では荒魂を祀ってますので、こちらの方が穏やかな空気が流れていますね。ちなみに彦神別神は健御名方神の長男ですね。」
神社の気圧がわかる殿! 殿、たまーに志村の顔になってるのは笑えますぞ。
「雷電(江戸期の力士:信州出身)の力石です。昔のことですから真相はわかりませんが、由来が割ととまともなんです。この石は、近くの鐘鋳川の橋として使われていて、この橋をかけ替えるときになにせ重いと村人が途方に暮れるところに、たまたま相撲の巡業で善光寺に来ていた雷電が神社まで運んでくれたとのことです。」
相撲の由来も健御名方神と建御雷神の力比べが始まりだそうです。いわは、相撲の神といってもいいですね。日本の国技をつくりました。「さあ、力を合わせて持ち上げてみましょう!」って、上がるかい!
《妻科神社》
「妻科とは、「妻」は祀られている姫(長女)の名前と、このあたりの豊かな土地を「科」、「科坂」と呼んでいたところからつけられたようです。昔はこの辺りが一等地でした。宝暦14年(1764)に妻科神社と改称されるまでは、諏訪大明神と呼ばれてまして、この神社が上社で、下社もあったのですが、統合されました。」
「祭神は八坂刀売命(やさかとめのみこと)で、健御名方神の奥さんといわれてますが、ほんとのところは最初は妻科姫(長女)を祀っていました。健御名方神は、地主諏訪の神の八坂刀売命を妻に迎え、なんと13人とも25人ともいわれるほどの子宝に恵まれました。その子たちを長野の地に遣わせたといわれてます。よって長女もここに遣わされ暮らしていました。先先代の宮司さんが神社庁へ届出をする際に母親の八坂刀売命を主祀をしたことにより、今では八坂刀売命がメインとなっているようです。」
ともかく、健御名方神は屈強な肉体と精力絶倫のタフマンだったんですね!また、地方もよく治め、立派な政治家でもあったんですね。
殿、なかなか凛々しいお顔立ち。
《湯福神社》
神橋と二の鳥居。
「湯福の名前の由来は、この辺りは伊吹(風が吹く)がよく流れていて、それがなまって湯福になったんではないかと伝わってます。」
「善光寺三鎮守の一つです。御祭神は建御名方命の荒御魂(アラミタマ)ですね。神様にもいろいろな個性や癖があるんですね、ここでは猛々しく活動的な魂を祀っています。みなさんもここのご神気を浴びると元気玉をもらえることでしょう。」
長野市民は一時期、元気玉を浴びてたことがありますが効果は絶大だったと思われます笑。できればライトセーバーで斬られたかった願。
「ここは善光寺の開基・本田善光の廟で今も眠ってる場所とされています。墓とされる大石(磐境)が納められていますが、実際に発掘調査をしたときに700年代の人骨がでてきたのですが、それがご本人かはなんとも・・・。この辺りから妻科神社にかけてはところどころ古墳もあり、掘るとザクザクお宝が出てきました。もしかしたら、善光寺よりこの周辺の方が豊かな里だったのかもしれませんね。」
「この私の後ろにある欅の大木は長野市の天然記念物で、樹齢は700年とされていますが延命治療がもう大変なご苦労されているとか、長生きしてね」
建御名方命と集合写真撮りまーす。
殿、今日一番の顔でござる。殿の観立てによると、現生の真田十勇士がお揃いなんですね!今生では、女性としてご活躍されている方もおられます?どうみても一番屈強そうな前列右のササキさんが三好青海入道でしょう。撮影中の私はさしずめ根津甚八っていったところか?前世ごっこで盛り上がり~の。
御朱印ですが、湯福神社と妻科神社は、弥栄神社の宮司さんが兼務しており、そちらでいただくことができるそうです.
善光寺本堂を通過しちゃいます。お参りもしました。今日はあちこちで手を合わせています。こんな日があってもいいと思います!すがすがしいい~
《健御名方富 命彦神別神社》
ご祭神は彦神別神(ヒコカミワケノミコト)で健御名方神の長男になります。
「もともと、ここは神社ではなくて横山城という上杉方の出城でもあったり、毘沙門堂という寺だったそーです。ではどこに祀られていたかいうとかつては箱清水(現在は墓地)にあったらしいです。善光寺より歴史があるんですよ、明治の時にこの場所に引越してきました。この丘は築城に選ばれるほどの適地でしかも善光寺を見渡せる。新居に移られた彦神別神は眺めもよくさぞご満悦だったことでしょう」
健御名方神ファミリーは地域からの人望が厚く愛されてるんですね!健御名方神の魅力は尽きません。
武井神社、妻科神社、湯福神社、健御名方富命彦神別神社(水内大社・城山県社)はとともに、7年目ごとの寅年・申年に4社交代で御柱祭を行います。善光寺御開帳のときは、こちらものぞいてみると裏御開帳がお楽しみいただけると思います。
おまけ《殿の隠れ家》
殿の城へお招きされて。段差のある立地でサイドも城壁ぽくて、まるで城郭ですね。訳アリ物件ということらしく格安30,000円(消費税込)とのことです。
「霊の通り道でもあるんですよ」
さらりと言い放ってましたが、殿、霊感強いとのこと。過去生でシャーマンだったこともあるとか。
※掲載画像は殿の許可済です
城郭でいうところの隠門ぽい。訳アリ物件、調査開始!
ゴミ屋敷だったら即引きだったのですが、殿、案外整理整頓が得意とお見受け申した。
殿、米国滞在時に愛溢れて、ニューヨークから故人の葬儀に参加するためにカリフォルニアまで徒歩で横断されたとのこと。その記録ビデオをみんなで拝見しましたが、ふつーじゃねーな、クレイジー、あっぱれ!
殿、金欠にもかからわず甘いものを皆さんに買ってくれました。備中高松城主「清水宗治」に近い素質あり。家来を平気で見殺しにする殿ではなさそーだ!あっぱれ!
殺風景なキッチン、殿、早く正室をもらいなはれ。喝!
寝室のデッサンは、殿が夢でお告げをうけた稲荷毘沙門天?らしい。雑種神を造作してしまうとは!あっぱれ!
殿の庭にはジャガイモが育てられている。戦国時代の武将は籠城戦に備えて、城内に植物や果実を植えることを推奨しました。ことに熊本城は食べれる城とも呼ばれ畳まで食料になったのです。戦い方をわきまえられていて、あっぱれ!雪駄もいい味。
「自分の数他の過去生は、自分を犠牲にしても人を幸せにしてあげたいと願い行動してきたので、自分は常に2番手3番手役にまわって生きてきました」
「今生の宿題は、自分が主人公になって素直な生き方をするということだと感じています。ですから、ちょんまげをゆって、やってみたかった武士系俳優をしてみたり。決して社会不適合者ではないし、法も尊重しますし、人も大切にしていきたいのは今生でも変わりません。自分が自分らしく生きていくことで、皆を幸福にできたら今回は悔いが残らない人生を送れると信じています」
ユニークなまちあるきになりました。案内人よし殿は壮大なテーマに挑まれ、宗教観のタブーにも臆することなく丁寧に誠実に説明してくれました。。前世、輪廻、霊魂、守護霊、カルマといった話が出るとスピリチャルな空気感になりますが、ストレスもなく「まちあるき新喜劇」としてみてもおもろかったですね。もしかしたら、今日の参加者さんも過去生で殿と繋がってるのかも?
(同行:高野)
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