REPORT

英語で七福神めぐり

2020年7月18日

7月18日(土) 8:00~10:00
参加人数: 7名
【案内人】
ダイスヤマカワ 門前英会話教室(西町) 主宰
【プロフィール】
本名 山川大輔。2010年英会話トレーナーとして企業。工作や遊びを通じて英語のシャワーを浴びせるスタイルの英会話レッスンやイベント等を行っている。
【コース案内】
善光寺表参道周辺の寺社などに点在する七福神のうち、六福神をめぐります。アジア的な神々を英語で楽しく解説します。
【コース】
楽茶れんが館
苅萱山西光寺・寿老人···長寿を象徴した神で、老子が天に昇って仙人になったものとされる

西後町秋葉神社十念寺・福禄寿···南極星の象徴、泰山伸君を人格化した福と高禄(財産)長寿の三徳をつかさどる神

蓮池山往生院・弁財天···インド河の女神。音楽をつかさどり、学問と技芸、雄弁と知恵を授ける

御本陣藤屋・布袋尊···弥勒菩薩の化身ともいわれる古代中国の禅僧契此

西宮神社・恵比寿天···商売繁盛・家内安全・五穀豊穣・除災開運など広大な御神徳を称えられる神

世尊院・毘沙門天···仏の世界の北方を守る守護神のひとり

本日も朝早くから参加者の方々にお集まりいただき、曇りの空の下出発です。

 

山川さんから、コロナ感染防止のため、1カ所目の寿老人へ向かう道中で自己紹介をそれぞれしました。

参加者の皆さんも英語を勉強されている方が多く、まちあるき道中の間の言語は英語で、参加者の方々同士もなるべくお話は英語です。

 

もともと案内人山川さんの英会話教室に通っているという方もおりました。

 

 

この、権堂アーケード通りで立ち止まり、元々はこの権堂アーケードになる前には、今日訪れる弁財天のある往生寺の場所までしか道がなかったそうで、こちらのアーケード入り口は商店街発展と共に開けられた道なんだそうです。

時々、冗談も交えて参加者とコミュニケーションを積極的に取りながらまちあるきを進行していきます。

 

現在の中央通りの状態に道が整備される前には、油商がここで盛んだったお話も。

このように狭いくねくねしている路地は、元々川だったところで、現在の長野市街地のほとんどの場所は地下水路に変えてあるのだそうです。

 

いよいよ第1カ所目、苅萱山 寿老人に到着。

 

 

その前に、右側に 大蛇の石碑があります。これは朝日山で殺された蛇の祟りを鎮めるための石碑の説明をしてくれ、覗き込みます。

西光寺さんに来たこともある人も意外に見過ごしてしまうポイントですね。

 

では早速、本日出発時に渡していただいたキーワードの紙をみながら、寿老人のお話を聞きます。

なるほど。
英語が分からずとも寿老人の特徴が何となくわかりますね!

 

かるかや上人になって記念撮影もできます!

 

西光寺に入ると左手側に寿老人の像があります。

よく見ると、杖をついていますね。こちらはキーワードにもある言葉。
でも様子を見る限りでは、足腰は悪くなさそうなので寿老人の杖は足替わりのものではなく長距離歩行のための補助杖ですねという話をダイスさんがされました。

また、七福神の神様は、もともと中国、インドの神様がほとんどだそうです。

よく見ると左手にも何か持っていますね。説明の文章には宝珠を持っているとありました。(カンニング)

また、寿老人の近く(敷地)には桃の木がよくあるといいます。

桃には厄除けの意味があるのだそうです。

 

 

反対側の歩道にわたり、ダイスさんから、実は西光寺の入り口門の上には鳩の装飾があることを教えてくれました。これも普段気付くことが少ないですね。

 

では次の福禄寿のある十念寺へ向かいます。

道中でも、元々川だった路地の説明を挟んだり、様々な質問に答えながら和気あいあいと進んでいきます。

 

2カ所目の十念寺に到着です。

入って左手側にある、秋葉神社の右手側に 福禄寿は祀られています。

以外にも今度は像が小さめです。

というのも、三尺坊という(頭と体が三頭身の)妖怪(非現実的な生物)が福禄寿として祀られているそうで、この像自体も三尺の比率、また像を含む高さも、像に対して3頭分の高さになっているとか。

また、福・禄(財)・寿の3つの神徳があるそうです。

 

福禄寿の向かい側には、大仏堂が。

中には、実は立派な御大仏が祀られています。

色は塗りなおしたので新しそうに見えますが、像自体は2~300年ほどのものなのだとか。

 

また、十念寺の参道入り口側に来ると「頼朝院 十念寺」のもじが。

実は、頼朝がここにお参りに立ち寄っていたため、頼朝のゆかりの寺として名前も残っているということです。

お次の弁財天へは、元々風俗街として知られた権堂の小路を通って向かいます。

最初にお話があったとおり、現在の権堂アーケード部分は新しい道で、往生院まで道があいていたということです。

往生院は善光寺が焼けたときに本尊を仮(権)に設置したお堂で、その理由で「権堂」に。

本日の弁財天は、権堂が風俗の商いで栄えていたときに、女性の願いの象徴としても存在したのではとのこと。

今は「弁財天」と旗がありますが、「弁才天」がもともとだそうで、インドの神様のひとり。
「財」の字の方が人がお金のことを願いくるよね。」と。

当時の権堂で、芸をする女性が芸の才(と財)をなせるように願われたそうです。

 

向かう道中、ぱてぃおで少し休憩。

キーワードの紙には、実はそれぞれの神の部分に、まつわる質問が書いてありました。

そこで、次の布袋さんにまつわるキーワードの「寛容さ」と日本語での「堪忍袋の緒が切れる」のことわざのはなしになり、外国人の参加者の方々に説明がありました。

こちらが、藤屋御本陣にある 布袋さん。

よく、手前道沿いの地蔵と間違えている方がいるそうですが奥に入ったところに祀られています。

 

時間が少し押してしまい、今回は恵比寿像まで行かずに、次の毘沙門天に向かう道中に少し恵比寿様にまつわるお話を教えていただきました。

実は7人いる七福神のうち、恵比寿さんだけが日本の神様だそうで。
笑顔の像が印象的ですよね。

そして、常に笑顔の理由は、恵比寿様は聴覚障害で聞こえなかったため、常に笑顔で対応していたからという一説を説明してくれ、一同の関心と笑いを取りました。

(周りの人からは不安を打ち明けても常に笑顔で悩みに接してくれたため)

本日最終地の毘沙門天に到着です。

なんと釈迦堂のこの会談は、善光寺御開帳で建てられる柱の余った木を使って作られているそうです。

また、毘沙門天は涅槃像の左側にいらっしゃるそうで、奥まで覗かないと見えません。

仏教では、北東という方角は変わった意味があり、鬼が出入りをする鬼門の方角と言われています。

そこを守っているのが毘沙門天。

また、この釈迦堂の向かいに見える松葉旅館。

今の松葉旅館の場所がもともとの善光寺があった場所と言われており、
釈迦堂は現世のお願いを、善光寺では後世(死んだ後)のお願いをする場所とされ、遂に祀られていたのだそうです。

こうやって釈迦堂から松葉旅館を眺めるとその理由は頷けますね。
「皆さん善光寺にお参りに行って、なかなか釈迦堂に来ないけど、現在のことをお願いするんだったら釈迦堂に来ないと。あっちは死んだ後のことをきいてくれるんだから。善光寺に行って話聞いてもらうんだったら、まず死んでから。」というジョークで皆さんを笑わせてくれました。

 

今回も参加者の方々には朝早くからお集まりいただきありがとうございました。
英語でめぐる七福神のツアーは普通の七福神よりも新鮮さと英語に対しての学びにも繋がりました。

それぞれの英語で会話し、練習しながら和気あいあいと楽しめるツアーとなりました。

次回の開催も是非楽しみにしたいですね。

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