REPORT

移住者に会いに行く

2021年10月15日

14:00~16:00

参加者:11人

 

案内人:坂田大輔(Webディレクター)

 

【プロフィール】

長野市出身、表参道沿いの制作会社JBNに所属。ディレクターという職業ゆえ、門前周辺の多くの人と親交あり。

 

【コース案内】

善光寺は宗派や男女を問わず、様々な人を受け入れてきたという経緯があります。
そのせいなのかわかりませんが、門前には県内外含めて多くの人が移住し、お店やオフィスといった拠点を構え、外からの視点で良い影響を与えてくれています。
今回は、長野市以外に出身を持ち、門前で長年活動する人々を訪れ、この場所の魅力について活動内容と絡めながらお話をお伺いします。

 

【コース】

楽茶れんが館

夏至
オーナー宮田法子さん

多くのアーティストからの信頼をもとに、質の高い現代作家の工芸・美術作品、衣服を20年近く紹介し続け、県内外で多くのファンを持つギャラリー夏至。
オーナーの宮田さんにお話をお聞きします。

映像と文章の作家事務所・ジョッガ
代表長峯亘さん

門前を拠点に10年、地域を飛び越えクリエイティブな制作物をリリースする作家事務所ジョッガの代表長峯さんにお話をお聞きします。

ネオンホール
清水隆史さん

音楽、演劇やアートなどジャンルを飛び越え30年活動してきたネオンホール。創設者で、現在の運営メンバーの一人でもある清水さんにお話をお聞きします。

JBN
坂田大輔

門前にオフィスを引っ越して5年、Web制作を生業とするJBNは、なぜこの場所を拠点として選んだのか? JBN坂田大輔がお話させていただきます。

 


 

本日のまちあるきのテーマは「移住者に会いに行く」。

長野市以外に出身を持ち、善光寺門前で長年活動されている3人の方を訪ねます。

 

 

一カ所目は「ギャラリー 夏至」さんへ。

善光寺表参道沿いの二階にお店を構えて18年。

日本各地の工芸作家を訪ね歩いてセレクトされた、生活に寄りそい、それ自体が風景になるような佇まいの工芸品を扱っていらっしゃいます。

 

 

オーナーの宮田法子さんにお話を伺いました。

 

 

もともとお母様のご実家や親戚が多くいらっしゃった縁で、長野市のまちなかは身近な存在だった宮田さん。

古くからのお店が軒を連ねる大門町の一角で、朽ちかけた商家の建物を使わないか?との声がかかりお店を構えるに至ったそうです。

街並み、流れる空気、まちの人々の覚悟や想いに「ここには本当のものがたくさんある」と確信した一方で、当初は新参者で苦労することもあったとか。

そんな中でお店を続ける支えになったのは、「自分たちは人間が人間たる生活に不可欠なものを提供している」という強い想いがあったからだったそうです。

 

 

この日、参加してくださった方には実際に移住を検討して県外からお越しの方もいらっしゃいました。

宮田さんのお話の余韻を残しつつ、道中で坂田さんとも情報交換。

東町の「映像と文章の作家事務所・ジョッガ」さんへ。

 

 

現在会社を挙げてフルリモート中につき、ご自身も久しぶりにオフィスに来られたという代表・長峯亘さんにお話を伺いました。

 

 

もともと東京のスポーツ専門チャンネルに勤められていた長峯さん。

コラム執筆なども担当しており、遠方のリモート取材のようなことも当時からよくされていたそうです。

その後、文筆家として独立。

出社もなくなり、取材もリモートでできる環境下で、東京にいる必要性は薄れていきました。

 

 

移住先を検討した際、当初は東京都の利便性が良い佐久を検討していましたが、東京の方との会話で「長野市」の認知度を実感。

謎に体調不良や肌荒れを招くマンションに別れを告げて、長野に居を移しました。

知り合いゼロの土地でまずしたのは、検索で一番上に挙がった市内のウェブ制作会社に「友達になってください」とメールを送ったこと。

そこから知り合いがつながり、権堂のパブリックスペース「OPEN」の立ち上げにも携わり、10年。

今、移住を検討する人におすすめできるのが「来るもの拒まず、いつの間にか去ってる人もあり」な門前町独特の空気感だそうです。

 

 

東町の街並みを眺めつつ、お次はネオンホールへ。

 

 

音楽や演劇などさまざまなジャンルのアート活動の場として30年間運営されているライブハウス。

 

 

立ち上げメンバーであり、現在の運営メンバーのお一人でもある清水隆史さんにお話を伺いました。

 

 

奈良県奈良市から信州大学への進学をきっかけに、長野市での暮らしが始まった清水さん。

仲間と音楽活動をするなかで、当時主流だった「東京で作ったものを地方が消費する」流れに対し、ご自身は「文化の地産地消」を意識するようになりました。

趣味の廃屋探訪のなかでこの建物に出会い、「自分たちの活動の場」として仲間3人でネオンホールをスタート。

大学卒業後はカメラマン、コラム執筆、音楽活動の三本柱を軸に、30年間運営に携わり続けています。

 

 

小冊子「街並み」を44号発行し長野市各地を自分の足と目で捉え続けてきた清水さん。

「まちは最終的には入れ替わるもの。家がなくなれば路地もなくなる。この街並みをしっかり味わっておいたほうがいい」という言葉が印象的でした。

 

長峯さんのお話に出てきた「OPEN」の前を通って、最終地、坂田さんのお勤め先でもあるJBNさんへ。

 

 

七瀬→青木島→門前の表参道沿と、現在の場所にオフィスを移転されて5年。

ウェブ制作や、ウェブサイト立ち上げ~運用にまつわるコンサルティング、各種セミナー等も展開されている会社です。

 

 

1階はガラス張りのオフィス。

 

 

2階はセミナースペースとなっており、奥にはオンラインセミナー配信ブースも設けられていました。

 

 

お話をいただいたJBN副会長の塚原さんは、開口一番「“善光寺の目抜き通りに事務所がある”というのが、これほど影響があるとは思わなかった」と一言。

ウェブ制作をするにあたって、この立地である必要性に最初は半信半疑だったそうですが、従業員の満足度、圧倒的に増えた取引先の来社、まちの人々との交流。と、地に足を付けて仕事ができる環境に今ではご自身が一番満足されているそうです。

 

 

たまたま同席くださったクライアントであり、ご近所さんでもある「すや亀」の青木社長。

老舗味噌屋として119年間この町に店を構え、商業の栄枯盛衰を目の当たりにしていただけに、JBNさんの移転は逆に「来てくれるの?」という感覚だったそうです。

「いいね、とい言ってくれて、自分の町の良さを改めて見直すきっかけにもなった」とおっしゃっていました。

当たり前かもしれませんが、移住(移転)は、する側だけでなく受け入れる側にも変化をもたらすものなんですね。

 

 

解散前に、参加者の方がお手製の編み小物を配っていました。

 

 

ひとつひとつ、色々な糸が交差してできているんだよなあと、今日のお話と重ねながらその光景を眺めてしまいました。

 

(同行:大日方)